障害児を育てる私が電子書籍作家になった話

私の「夢」ってなんですか?
子どものころに漠然と描いていた夢は、自分の本を出すことでした。
昔から文章を書くのが好きで、日記でもブログでも手紙でも、とにかくよく書いていた私。
東京でOLをしていたときは、毎日満員電車の中で田舎の両親あてにハガキを書いて、それを東京駅前のポストに投函して出勤するのが日課でした。
静岡の田舎に出向したときは、毎日仕事終わりに車の中で、分厚い日記帳にその日のできごとを書き連ねました。
息子と娘を出産したときは、自分の出産時のレポを、ノートにびっちり書き込みました。
そして、息子を育てる中で私が経験したできごとや心情を綴った私の「闇ブログ」。
普通の育児では経験しないようなトンデモなできごとばかりの息子の幼少期を綴ったこのブログは、今もインターネットの海をさまよっています。
子育てをする中で、自分がどんどん消えていって、子どもたちの「お母さん」でしかなくなっていくようだったあのころでも、私は書いていたのです。
それは、自分にとってのいつか叶えたい夢があったからかもしれません。
私の息子はしゃべらない
4歳をすぎてもしゃべらなかった私の息子は、「発達遅滞」から進化して、もうすぐ5歳になる冬に、病院で「知的障害を伴う自閉症」と診断されました。
医師が告げた「知的障害」という言葉は重いです。
私の人生は、息子に捧げることになるのだろうか…。
とにかく不安で怖くて絶望しかなくて、それからの毎日は、常に「息子の障害」が頭につきまとっていたように思います。
しかも専業主婦だった私には、やることが子育てと家事しかありませんでした。
毎日、話せない息子と、当時まだ0歳の娘と一緒に家にひきこもる日々の中、次第に私はある考えに向かっていきました。
「子育て以外の生きがいを見つけよう」
私が息子の障害のことで絶望するのは、きっと息子の人生を自分の人生とごっちゃにしているから。
息子には息子の人生があり、私には私の人生がある。
息子と私は別の人間であり、息子を育てること=私の人生ではないのです。
そう考えると、少し心が軽くなりました。
息子の成長は相変わらずゆっくりでしたが、息子と4歳はなれて生まれた娘はすくすくと成長し、1歳をすぎるとお兄ちゃんである息子の発達にほぼほぼ追いついていました。
そんな娘の成長に後押しされ、私はついに夢への第一歩を踏み出すことになります。
ある日の夜、私は急に思い立って、布団の中でスマホで「コピーライターになるには」と検索しました。
漠然と思い描いていた「本を出したい」という夢。
文章を書くことを仕事にすること。
そのためにとにかく動きたかったのです。
検索画面に出てきたとあるライター講座。
私はそのままの勢いで申し込みボタンを押しました。
私、ライターになる
「ライター講座に行く」
突然のわけのわからない発言に反対も疑問も言わず、夫は当日の子守りを引き受け、私を送り出してくれました。
会場は新宿。
娘を出産してから1人でのおでかけなんて久しぶりだった私は、浮足立っていました。
浮足立っていたにも関わらず、子どもたちのあれこれでバタバタし、気づけば出発予定時間を大幅にすぎて家を出発。
新宿の細い路地裏で、あれかこれかと探しながらうろうろしていると、目的地の住所に古びた建物を見つけました。
会場に着くと、ベレー帽が似合う女性の先生が前方で話していました。
「ライターなんて未経験から本当になれるのか」
半信半疑で話を聞いていましたが、次第にその女性の先生の話に引き込まれ、なんだか自分もできそうな気がしてきたので不思議です。
講座が終わるころには、私はすっかりその気になっていました。
ワクワクしながら電車に揺られて帰り、家のドアを開けると、子どもたちの大きな声。
日常が戻ってきました。
ただ、その日常にはしっかりと、出かける前にはなかった私の夢の芽が生えかけていたのです。
夫にお礼を言い、講座で聞いた話を話しました。
夫はあまり興味がない顔をしていましたが、とりあえず私の挑戦を応援してくれました。
そして夜、子どもたちが寝静まると、早速先生が言っていた「クラウドソーシングサービス」という、ライターの仕事を受注できるらしいサイトに登録し、片っ端から応募しました。
しかし、いくら応募しても全然受かりません。
ようやく受かった仕事に挑戦してみるも、何時間もかけて千円程度の報酬しか得られませんでした。
しかも、私が書きたかった障害児育児のことを書く仕事なんてありません。
だんだん「これって私がやりたかったことなのかな?」と疑問に思えてきました。
しかし、私にはまだ手があります。
あのときのベレー帽の先生が、「今は誰でも電子書籍を出せる」と言っていました。
講座後、「電子書籍ってどうやって作るんですか?」と聞きに行った私に、「知りたいですか?」とにやりと笑った先生が忘れられません。
「電子書籍、作ってみよう!」
私は講座のときにとったメモを見ながら自己流で、電子書籍を書いてみました。
「電子書籍を書いてみた」とさらっと書きましたが、書籍になるくらいなので3万文字超えの文量です。
私は目を血走らせながら、気合でパソコンに向き合いました。
息子は5歳に、娘は1歳になっていましたが、がぜん手がかかるお年頃です。
夫が休みの日に子どもを預け、1人カフェで執筆したり、夜は睡眠時間を削ったり、かなり無理をしてようやく出版した私の記念すべき初の電子書籍。
しかし、それは全く売れませんでした。
私は激しく絶望しました。
「売れる」電子書籍を書いてやる
そんな中、世間はコロナ禍に突入。
ベレー帽の先生が、今度は電子書籍出版に特化した長期間のライター講座をオンラインで始めたので、私はすぐに飛びつきました。
夫にも協力をあおぎ、講座の間は子どもたちのお世話を一手に引き受けてもらいました。
今度は成功してやるぞと熱意をメラメラ燃やし、またもや睡眠時間を削って課題に取り組む日々。
そうして3カ月後、私は2冊目の電子書籍を出版しました。
2冊目の電子書籍は大成功。
Amazonランキングで1位を獲得し、ベストセラーになりました。
印税も安定して入ってくるようになり、ようやく私は、「成功」という2文字をかみしめたのでした。
その後は3冊目、4冊目と電子書籍を連打。
私が書く内容は1冊目から一貫して、自分と同じように障害児を育てる親たちへのものでした。
辛かった経験を通して、少しでも勇気や希望を感じて欲しかった1冊目。
障害がある息子の「就学」について、障害児を育てる何人もの先輩ママたちに話を聞きながら作った2冊目。
そして、成人した障害がある息子さんがいるベテラン障害児ママに、これまでの障害児育児の経験談を聞いて作った、対談形式の3冊目。
初めて「子どもに障害がある」と知って絶望と困惑の中にいる初心者障害児ママたちに向けた、福祉制度や療育などの「知っておいてほしい情報」を社会福祉士さんとともにまとめた4冊目。
電子書籍の出版は私にとって生きがいとなり、障害児ママの同志たちからの感謝や励ましの声は私の宝物になりました。
人生に絶望し、子どもと家にこもって闇ブログを書いていた私が、今では電子書籍作家です。
障害児を産んでも人生は終わらないし、それすらも自分の強みになります。
行動さえ続けていれば、いつだって自分の人生を生きられるのです。
電子書籍の出版を通し、社会とつながれたことで、私は息子の障害のこともふっきれたように思います。
だって、息子の人生と私の人生は別物だから。
私は私の人生を生きるだけ。
これからも私の挑戦は続きます。